矢部 太郎 大家 さん ごきげんよう
- 新居に「大家さんがいない家」を選んだ理由とは? 矢部太郎さんの住まいの歴史 - マンションと暮せば by SUUMO
- 矢部太郎の大家さんの顔がみたい!テレビに出演したことがあるって本当? | 大家さん, 大家, 太郎
矢部 :土屋さんが引越しをしたときに不要品がたくさん出たらしいんですけど、 「ヤフオクで売りたいから矢部んちに置かせてくれ」 と。一応は番組の企画の一環なんですけど、そんなの絶対に土屋さんが個人的にいらないものを処理しているだけじゃないですか? ひな人形とか、マッサージチェアとか、ピアノなんかをワンルームに詰め込まれて、寝る場所もなかったです。天井までびっちり物が溢れていて、物と天井の隙間が50cmぐらいしかなかったのを覚えています……。 ―― オーナーや管理会社から苦情が来ませんでしたか? 矢部 :来ました! 元々オーナーさんは凄く優しい方で、いつも気にかけてくれていたんですよ。最初のころは僕の番組を見て感想をくれたりなんかもして。 でも、さすがにやりすぎだったんでしょうね。ほかの住人の方の目もあるし、 「ちょっともう更新は…」 と言われてしまいました。エントランスに観葉植物や熱帯魚の水槽が置いてあったりとか、そういう部分も好きで、とても住み心地はよかったんですけど、そこも結局2年で出ることになりました。 「絶対ここに住みたい!」ひと目で気に入った大家さんの家 ―― その次に引越したのが、漫画になった「大家さんの家」ですね。 矢部 :そうです。とにかく(土屋さんの)物がたくさんあるので、次の家は広いところがいいなと。あとは占いで、「こっちがいいよ」と言われた方角で探しました。別に占いが好きなわけではなくて、 当時好きだった女性のお母さんが占い師をやっていて、気に入られたかっただけ なんですけど(笑)。結果、条件に合致していたのが「大家さんの家」だけでした。 ―― これまでのようにマンションではなく、戸建てですよね。どんな造りでしたか? 矢部 :二世帯住宅のような造りで、大家さんが住む1階と僕が間借りしていた2階は玄関も別々でした。2階にトイレもキッチンも全部ついていて、すごく広いんですよ。22畳くらいありました。もちろん、絨毯じゃなくフローリングでしたし、家賃も10万円以内で、そんなに高くない。ひと目で気に入りました。 ―― 内見のときが大家さんと初対面だったわけですよね。最初はどんな印象でしたか? 矢部 :最初に「ごきげんよう」とおっしゃられて、すごく上品な方だなと。しかも、僕にいい印象をもっていただけたのか、その場で 「もし住んでくれたら、余っているウォシュレットをあげるわ。私は使い方が分からないから」 と、後付けできるウォシュレットをくださるというのです。そんなものまでついてくるのか……と思って、絶対に住もうと思いました。 (c)矢部太郎/新潮社 ―― 実際に暮らしてみて、いかがでしたか?
新居に「大家さんがいない家」を選んだ理由とは? 矢部太郎さんの住まいの歴史 - マンションと暮せば by SUUMO
お笑い芸人の矢部太郎が、「大家さんと僕 これから」(新潮社)を刊行した。手塚治虫文化賞短編賞受賞作で79万部を超えるベストセラーの続編にして、完結編。「ユーモアがあって素敵な大家さんを描きたくて始めた。やりきりました」 2016~17年「小説新潮」に連載された「大家さんと僕」は、新宿区の外れにある木造の一軒家の2階に間借りする矢部と、1階に暮らす家主のおばあさんとの日々をつづったエッセー漫画だ。 「ごきげんよう」とあいさつする上品でチャーミングな大家さんは、洗濯物を取り込んでくれたり、食べ物をお裾分けしてくれたり。家族のような、恋人のような2人の関係を温かくシンプルな線で描いた。 連載を元に17年秋に刊行する…
矢部太郎が大家さんに印税であげた驚きのプレゼントとは?
矢部 :次は、さらに都心寄りの 新中野 です。駅から徒歩2分のマンションでした。少し広くなって、家賃は7万8000円だったかな。前回の失敗をふまえて、床が固いフローリングで、洗濯機も置けるところを選びました。築年数も新しめで日当たりがよかったので、明るい気分になりましたね。前の家はジメジメしていたので、余計に。 ―― ライブハウスもないから平穏に過ごせますね。 矢部 :でも、今度はその代わりに居酒屋があったんですよ。僕の部屋が2階で、そのすぐ下が居酒屋。最初はお腹が空いたとき、すぐ行けるからいいかなと思ってたんですけど……。 ―― そこも、やっぱりうるさかった。 矢部 :はい。店内の声や音は聞こえてこないけど、みんな店の外に出てからもけっこう話すんですよ。 終電間際の遅い時間に、三本締めの音が何度も何度も聞こえてくる 。いったん締めたのにまたしゃべって、何回も「よよよい」ってやってるんです。ちょっと参ってしまい、けっきょくそこも2年で出ました。 室内バイクレースがきっかけで更新できず… ―― 「大家さんの家」にたどり着くまで、何度も引越しをされているんですね。新中野の次は、どんな家でしたか? 矢部 :新中野よりも、さらに新宿寄りのマンションです。家賃8万6000円のワンルーム。バストイレ別で、駅から徒歩1分でした。 ―― 少しずつ家賃が上がっています。仕事も順調に増えていた時期だったのでしょうか? 矢部 :当時は30歳くらいだったと思いますが、日本テレビの『電波少年』に出た後で、同じ土屋プロデューサーの別の番組でレギュラー出演させてもらっていました。 ―― 日本テレビの土屋さんといえば、「Tプロデューサー」「T部長」として知られる伝説的なテレビマン。矢部さんもさまざまな企画で土屋さんの無茶ぶりに応えていらっしゃいましたね。 矢部 :はい。その土屋さんの番組のロケで、毎回のように僕の家が使われていたんですよ。駅から近くて撮影に便利なので、 ほとんどハウススタジオみたい になっていて。 ――例えば、どんなロケを? 矢部 :僕の部屋を拠点に架空請求の詐欺業者に電話をするとか、外国のあやしい薬を自宅に送ってもらって僕が飲むとか。そういえば、霊媒師のオーディションみたいなことも、うちでやってましたね。番組が勝手に僕の住所を教えちゃうので、突然ピンポンが鳴って上がってくるんですよ、霊媒師が。 あとは、別の番組なんですけど部屋の中で ポケバイのレースをした こともあります。プロのレーサーと僕が競争をするんです、部屋の中で。 ―― それは……ひどい…… 矢部 :それから、部屋が番組の倉庫みたいになってた時期もありますね。 ―― 倉庫?
矢部太郎の大家さんの顔がみたい!テレビに出演したことがあるって本当? | 大家さん, 大家, 太郎
相方の入江慎也さんの反社会勢力との闇営業問題後に、初めて公の場に登場したことでカラテカの 矢部太郎 さんが話題になっています。 そもそもコンビとしてほとんど活動してなかったということもあり、矢部さんを擁護する声も非常に多いですね。 そんな矢部さんですが大ヒット漫画「大家さんと僕」が有名ですが、その 大家さん が過去に ごきげんよう に テレビ 出演していたことがわかりました! 今回は大家さんのテレビ出演について、大家さんに印税であげた驚きのプレゼントについてご紹介いたします。 スポンサーリンク 矢部太郎作品大家さんと僕の大家さんがごきげんように出演してた!? それでは早速ご紹介していきます! 大家さんと僕とは、お笑い芸人の矢部太郎さんが書いた漫画です。 新宿区の外れで一人暮らしをするおばあちゃんの家に引っ越すことになり、同じ屋根の下で繰り広げられるほのぼのストーリーの、奇跡の実話漫画です。 僕も読んでみたのですがまずここで出てくる、上品そうでかわいいおばあちゃんがいい! 矢部太郎さんのキャラと相乗効果を産んでいますね。 前評判ではほのぼのとするとか、ほっこりとかっていう感じをイメージしていましたが、なぜか僕の場合は感動して涙が出てしまいました。 おそらくですが、僕の場合は自分のおばあちゃんのことを、無意識に重ねていたのかもしれません。 大家さんと僕 [ 矢部 太郎] そんな愛すべきキャラクターの大家さんですが、実は以前放送していた、小堺一機さんのごきげんようでテレビ出演されたことがあるようです。 またそれでけではなく他のテレビ番組に出演されていたそうです。 ゲストとして矢部太郎さんが出演されていました。 サイコロトークで、矢部さんのトークテーマが「情けない話」に決定。 矢部さんは気象予報士の資格を持っています。 それにも関わらず、天気の予想をことごとく外すことから大家さんは、矢部さんの予報の逆にして、矢部さんが雨といえば洗濯物を干し、晴れといえば洗濯物を干さない、というエピソードをお話ししていました。 そのトークの後で、矢部さんが大家さんとのツーショットの写真を紹介し、大家さんは写真でごきげんようにテレビ出演となりました。 大家さんは、一般人ということで顔は隠されていましたが、どうやら黒柳徹子さんをもっと柔らかくした感じらしいです!
矢部 :やっぱり、前の大家さんと比べちゃったら嫌じゃないですか。それに、新しい大家さん側にも変なプレッシャーをかけちゃうんじゃないかと。すでに『大家さんと僕』の漫画は世に出ていましたから 「この人、元大家さんと比べてるんじゃないの? また漫画書こうとしてんじゃないの」 とか思わせたら申し訳ないですよね。 ―― 確かに、意識してしまうかも。 矢部 :だから、 いくら間取りが気に入っても「下に素敵な大家さんが住んでますよ」とか言われるとピキーンとなって、違うところにしてくださいって(笑) 。管理会社がやっているマンションで、なおかつ管理人さんが3人くらい交代制で回しているところがよかったんです。一人に思い入れや負担がいかないように。変な条件で不動産屋さんも困ったと思いますけどね。 ―― でも、それだけ大家さんへの思いが深いのだと感じますし、とても矢部さんらしいと思います。ちなみに、現在の家の住み心地はいかがですか? 矢部 :とても暮らしやすくて、気に入っています。築年数は古いんですけど、部屋の中はリノベーションされていてキレイですし、意外と管理人さんや住人同士の交流もあるんです。 この間、隣に住んでる大学生の子が、マンションの共用ロッカーの鍵を忘れて困ってるところにたまたま通りかかって、鍵を貸してあげたんですよ。そしたら、翌日僕の部屋のドアノブにみかんの入った袋がかかっていたりとか。 ―― 住人同士顔も知らないというマンションも少なくないと思いますけど、それはすごいですね。 あとは、なんといっても 鉄筋コンクリートはあったかい! 大家さんの家は木造で、暖房の効きも悪かったから寒かったんですけど、今の家は冬も快適。さんざん大家さんとの交流を描いておいて申し訳ないんですけど、今はマンションに惹かれている自分がいます(笑)。 でも、一つ共通点があるのは リビングがすごく広いところ 。その点だけは、前の部屋に似ているから選びました。だから、今も少しだけ、大家さんちの2階にいるような感じがするんですよ。 お話を伺った人: 矢部太郎 (やべ たろう) 1977年生まれ。お笑い芸人。1997年に「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。初めて描いた漫画『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。 Twitter: @tarouyabe 取材・執筆:榎並紀行(やじろべえ) 撮影:加藤岳 編集:はてな編集部
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本物の猫ちゃんをプレゼントしろ! などのツッコミがあり、僕もてっきりもう少し高額なものをプレゼントしたことを予想していましたのでびっくりしましたが、この素朴なところも矢部さんらしくていいのかもしれませんね! スポンサーリンク 矢部太郎の大家さんと僕が映画化!?監督は板尾創路!? ベストセラーとなった作品、大家さんと僕ですが、早い段階から映画化やドラマ化が噂されていました。 というのも 矢部さんの所属する吉本興業が、松本人志さん、品川祐さんも映画監督として活動するなど、現在、動画のコンテンツサービスに力を入れているからです。 矢部さん本人も、アニメになったら嬉しいと、期待を寄せています。 もし映画となったら監督は誰がするでしょうか? それは個人的に板尾創路さんが濃厚だと考えています。 その理由は、まず板尾さんは最近ではピース又吉の火花で、監督を務めた実績があります。 二つ目に大家さんと僕の作品中に出てくる先輩芸人の一人のモデルが板尾創路さんです。 実はすでに出演されていたんですね。 三つ目に矢部さんが尊敬する師匠として、板尾さんの名前を挙げています。 芸人としてテレビに出演されるときは、つかみどころのないキャラクターで、かつ大喜利がむちゃくちゃ強いイメージです。 しかし一方で俳優や映画監督としてとても評価の高い板尾さんなので、そんな方が監督をされるとなると、期待が大きく膨らみますね! ごきげんようでテレビ出演だけでも、大家さんは驚いたとおもますが、まさか映画にまで出演するとは、思わなかったでしょうね。 現段階では確定の情報などはないようですが、これだけヒットした作品ですので、おそらく現実になるかと思いますので、書籍で泣いた僕は楽しみに待ちたいと思います! この記事が少しでもお役に立てましたらシェアしていただけますと嬉しいです。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 関連記事
お笑い芸人の矢部太郎さん。1階に住むご高齢の大家さんとの交流を描いた漫画『大家さんと僕』は、シリーズ累計120万部を突破。年齢も性別も異なる二人が次第に家族のように心を通わせていく様に、多くの人が胸を打たれました。 しかし、大家さんとの暮らしに至るまでは、階下にライブハウスや居酒屋がある物件で騒音に悩まされたり、過激な自宅ロケが原因で更新を断られたりと、なかなか定着できなかったといいます。今回矢部さんには、そんなこれまでの住まい遍歴と、「大家さんの家」を出たあとの現在の暮らしについてもお話しいただきました。 初めての一人暮らしは「重低音」のするマンション ―― 矢部さんは東京の東村山市出身。20歳で芸人になってからも、しばらくは実家住まいだったそうですね。 矢部太郎さん(以下、矢部) :そうですね。一人暮らしを始めたのは、24歳ぐらいのころだったと思います。それまでは実家に住んでいたんですけど、何度か仕事に遅刻してしまったことがあって。それで、仮に寝坊をしてもすぐに都心へ出られる場所に住もうと思い、実家を出ることにしました。考えてみれば、それって 遅刻する前提 なんですけどね(笑)。 ―― 最初に住んだ街はどこでしたか? 矢部 :実家がある東村山と同じ西武新宿線の 沼袋 です。駅から徒歩2分のワンルームマンションでした。家賃は6万円くらいだったと思います。とにかく遅刻をしないよう駅への近さと、あとは家賃の安さを優先したので、間取りや設備にはこだわらなかったですね。だから、住んでから失敗したなと思うことも正直ありました。 ―― 例えば、どんな点ですか? 矢部 :まずは、 床が絨毯 (じゅうたん) だったこと。ずっとフワフワしているから、「床」って感じがしなくて落ち着かないんですよ。なんとなく、いつもジメジメしているような気がして、ふと 「この絨毯、いつから敷いてあるんだろう」 と怖くなったりとか(笑)。 あと、洗濯機置き場がなかったのも不便でした。そんなに頻繁に洗濯するわけじゃないから大丈夫だろうと思っていたんですけど、毎回コインランドリーに行くのって意外と大変なんですよね。洗濯中に知らない人と二人きりになるのも気まずくて苦手でしたし。 それから、一番いやだったのは地下にライブハウスがあったことです。夜の6時くらいになると、 重低音がすごくて…… 。結局そこには2年住んで、更新のタイミングで出ましたね。 ―― 沼袋の次はどちらへ?
矢部太郎の大家さんの顔がみたい!テレビに出演したことがあるって本当? | 大家さん, 大家, 太郎